沖縄の昔と今を写真と地図で見る

こんにちは。2023年度3年生ゼミより久しぶりの投稿です。
 
今年(2023年)の初め頃、「リメンバリングオキナワ」(岡本尚文編著、トゥーバージンズ出版)という本が出版されました。この本は、戦後~復帰前の沖縄に滞在していたアメリカ人が撮影した沖縄の写真と、同じ構図で写真を撮影し、現在と比較しているものです。時代による変化をビジュアルに理解でき、歴史を実感できる本となっています。
そこで、私たちのゼミでも沖縄本島南部において、復帰前に撮影された写真と同じ構図で写真を撮り、さらにそれをデジタルマップ上に載せるというプロジェクトに取り組んでみることにしました。
復帰前の写真は那覇市歴史博物館のデジタルアーカイブ、昔の沖縄の写真集、復帰前に沖縄に滞在していたアメリカ人のドン・キューソンさん、ジョン・スクラッグさんが運営するデジタル写真アーカイブ「Remembering Okinawa」(https://www.rememberingokinawa.com/page/remembering_okinawa_home)

から選択しました。

いくつか事例を紹介します。


【那覇】壺屋やちむん通り

1950年代の壺屋やちむん通り。

(出典:那覇市歴史博物館)
真ん中にガジュマルの木がみえます。中央に写っているのは南ヌ窯で、荒焼の焼き物(かめ類など)が焼かれていた共同窯です。一帯は木が多く、現在のやちむん通りのような店が全くみえません。戦争で全て焼失しまい、食事をするための器が必要だったため、戦後早い時期に壺屋に人々が戻りました。登り窯は残っていたようです。この壺屋の町から戦後の那覇の復興は始まったといえます。


2023年6月撮影 現在のやちむん通り。


70年前の風景の面影があり、ガジュマルの木も残っています。現在の琉球石灰岩の石畳のやちむん通りは2000年ごろに整備されました。通り沿いに色々な店が増え、那覇市立壺屋焼物博物館もあります。落ち着いた雰囲気が残っています。


 
【那覇】明治橋

1953年の明治橋。

(出典:那覇市歴史博物館)
戦時中爆破された明治橋は、戦後の1953年米軍によって再建されました。この写真は再建されたばかりの明治橋です。当時の明治橋の周りは建物が少なく、川向うに小禄の地形がみえます。

2023年6月撮影 現在の明治橋。


現在の明治橋は戦後2代目の橋です。1953年に米軍が建設した橋は1984年に老朽化により取り壊され、現在の橋にかけかえられました。明治橋の周りには高層の建物が増え、川向うの地形はみえません。交通量も多くなっています。

【那覇】波之上宮

1953-55年の波之上宮

 【出典 土井貢氏  那覇市歴史博物館所蔵】

 前面の道路は未舗装で爆撃を受けた鳥居はまだそのままの状態です。両脇の建物は、参拝に来た人が立ち寄るためのお店のように見えます。

2023年5月7日撮影の波之上宮

鳥居が新しく作り替えられ、道路も整備されてました。また、歩道側には当時見られなかった電信柱が多く建っています。

【南部】南城市玉城

1956年南城市玉城の水田風景

出典:Remembering Okinawa

玉城は沖縄本島南部では珍しく、水が豊富で稲作が盛んであった地域です。平野部に水田が広がっているのが見えます。
現在の風景との違いに驚かされます。

2023年6月撮影 南城市玉城

現在では、水田はすっかり姿を消してしまいました。ほとんどの農地でサトウキビが栽培されています。潮風を防ぐために沿岸に防風林が植えられました。

Remembering Okinawa https://www.rememberingokinawa.com


 
これらを実際に地図上にプロットしたデジタルマップがこちらです。


クリックしてあちこちの昔と現在を比較してみてください!

文責:上江洲
編集:O

那覇のB円、そしてドル時代。

みなさんはB円というものを知ってますか?

沖縄がアメリカ統治下にあった戦後の1945年から1958年まで流通していたお金で、アメリカ軍が通貨として発行した軍票がB円です。

こちらが5円。

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こちらが1円。

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Military Currency=軍票と書かれています。

 

1円は今のお札のように細長くなくて、正方形に近いかたちです。

他には、1000円、100円、20円、10円、50銭、10銭と8種類あったようです。

硬貨はなく、紙幣のみの通貨で、物価は「アンパン5円、豆腐一丁15円、沖縄そば15円」という感じだったそうです。

また、教員の月給は3000円程度だったそうです。
(http://www.payphoneone.com/bunka/sengose/ben.html)

給与の割に物価が高かったことがうかがえます。

*   *   *

その後、1958年から本土復帰する1972年までは、米ドルが使われていました。

レートも今と違って1ドル=360円と超がつく円安だったそうです。

1954年生まれの父の話。

学校(父の母校は浦添高校)へ行く時に25セント持って家を出ます。

まず、泊高橋まで歩き、同じ浦添高校生が4人くらい集まったらタクシーを止め、みんなで5セントづつ出しあって行くのが当たり前でした。

そして昼ごはんにそばを15セントで買い、残りの5セントでコーラやコーヒーを買うなどしていたと言っていました。

このことからだいたい25セントは今だと500円くらいの価値になるのではないかと予測できます。

当時の硬貨を父が保存していました。

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写真上から1ドル通称ダラー。

現在の100円玉と比べてみてください。ずっしりと大きい硬貨です。

左上のものは1881年製なので、明治半ば!ということになります。

上から2段目のものは50セント通称ハーフダラー。

下の3段は、上から25セント通称クォーター、10セント通称ダイム、5セント通称ニッケル。

一番下の5セント硬貨はバッファローニッケルと呼ばれるインディアンの横顔が入ったもので、1930年代の終わり頃まで作られていたようです。

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この写真では、左下がバッファローニッケルです。

 

バッファッローニッケルの反対側には、たしかにバッファローの絵が。

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この写真では、左下がバッファローニッケルです。

 

画像にはありませんが、1セント硬貨通称ペニーもあります。

このように、同じ金額の硬貨でも絵が違っています。

それぞれ作られた年代や由来があります。

ドル・セント硬貨を手にする機会があれば、集めてみても面白いかもしれません。

それにしても、ずいぶん古い硬貨まで那覇で流通していたんですね。

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沖縄では、今でも町なかで米ドルを使って買い物が出来ます。

サンエーなど、スーパーのレジにもその日のドルのレートが表記されています。

沖縄に来てアメリカンな雰囲気を楽しんで見るのもいいと思いますよ。

ただし、今の1ドル硬貨は画像のようにでかくはなくて、25セント硬貨とそっくりなので、間違わないように気をつけましょう。

 

文、写真:仲吉